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 檸檬の重さは魂の重さ。檸檬の大きさは、魂の大きさ。手のひらサイズの魂。萌え
 
 
 引用です。
 
 それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる――あるいは不審なことが逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 実際あんな単純な冷覚や触角や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を闊歩した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、
――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。
 
 引用終わりです。
 
 果物屋でレモンを持ってみたらすごい〈ちょうどよかった〉から買って出ます。果物屋はフツーの果物屋っていうか八百屋だから、レモンとかはあまり見ないんだけど、もともとレモンは好きなんだけど、何かが来たからレモンを一つだけ買って、冒頭から、というのは「私」の最近にずっと、「私」を苦しめてきた「不吉な塊」が、つまり鬱っとした気分が、すぅっと薄れてゆくのですね。「つまりはこの重さなんだな」っていうのは、何とも言い表せなかった憂鬱が、レモンという、例える物体を、得て、溶けていく様子を表しているのでしょうが、自分の心とか憂鬱な何かとか例えば魂とか、そういうものがレモンという形を得てすっきりしたんですね、多分。レモンは黄色くて酸っぱくていい匂いがするから。そんな感じ。心が軽くなったら、どこまででも陽気に行けるでしょう。京都から、長崎まで。
 
 あぁ、なんかもっと言いたいんだけど、これは感覚でわかってて、それはまた言葉では表わしにくい感覚なんですよぅ。別に梶井に親近感を持ってるわけじゃないんですよ、〈憂鬱な現代の若者〉っていう件以外では。
 
 
 最初は頑張って一般的な話をしようとか勉強っぽいことをしようとか考えてた読書会ですが、だんだん感覚的な話になってきたので、そろそろこの辺りで終わりましょうかね。あ、檸檬の重さが「私」の魂の重さと一緒って言ったのは、先輩です。勝手に書いてすみません。
 
 五回分読んでくださった方はありがとうございました。次回は宮澤賢治「注文の多い料理店」の予定です。

 

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 梶井基次郎の「檸檬」は、細かいものをつらつら並べるっていう書き方をところどころでします。これがね、印象派っぽい感じです。
 
 私は絵画史とか美術史とか学校で詳しく勉強してないしいまいちよくわかってないのですが、印象派は、写実的でない、光を捉えて描く、明るくてきれいな色遣い、風景画、みたいな記憶があります。また、絵具を混ぜて色を作ってぺたっと塗るのじゃなくて点々と並べて塗って遠くから見ると混色されてる、みたいな印象がもっとも強いです。クロード・モネ「睡蓮」とか「印象・日の出」とか、あとセザンヌとか、の印象です。他にもいろいろあって、上に書いたところに終始するものじゃないですけど。
 
 丁寧に説明すればするほど自分の言うことに自信がなくなってくので、適当にお茶を濁して、「檸檬」に戻りましょう。突っ込まないでください。まし。
 
 いろんなものをつらつら並べてかいてあるところが素敵。光とか色とかの描写が素敵。そんな話でした。次から引用です。前から順に行きましょう。
 
 
以下しばらく引用です。
 
1.花火が好き。
私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様をもった花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火と一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆った。
 
2.ガラスのおはじきとか南京玉が好き。
それからまた、びいどろという色硝子で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、、南京玉が好きになった。またそれを嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。
 
3.前はね、丸善が好きだったの。
生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄色のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費やすことがあった。
 
4.街のいろんなもの。
そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や葉湯を眺めたり、

 
5.果物屋!
その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を医師に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはりおくへゆけばゆくほど堆高く積まれている。――実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴しかった。それから水に漬けてある豆だとか慈姑だとか。

 
6.真っ暗な街角に建つ果物屋ラブ。
またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑やかな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂なのだが、その廂が眼深に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。
 
7.暗い中にそこだけあかるい果物屋ラブ!
そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。
 
8.画集を積んでみるよ
私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。

 
9.檸檬乗せて完成だよ!
その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。

 
 引用終わりです。
 
 きれいなものを並べたりとか形容詞的な言葉を並べたりするのは、雰囲気が出ていいですよね。暗い中にきらきら光る何かがあるのは、この時代に小説書いてる人の特徴なんでしょうかね、関係ないでしょうかね。どうしても谷崎の「陰翳礼讃」を思い出すんですよ。薄暗い行燈で黒い漆塗りのお椀の蓋を取るとぴかぴか光る米粒が、美しい、みたいな描写と、妙に暗い寺町通の角にある廂の低い果物屋の黒い漆塗りの台の上に並べられた果物が、美しい、みたいな描写には通じるところがあると思うんですよ。誰でもなんじゃない? っていう気もしますけど。
 
 あと、やっぱりですよ。「店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛」とか、きらっきらですよ。きゅんっとします。
 
 「ガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしま」うとかも。しかも「カーンと冴えかえ」るとか。きれいじゃない? あんまり陽光燦々みたいじゃない一種薄暗い書店で、重い暗い画集を積み重ねて上に乗せたレモンの鮮烈な黄色。まさに「カーン」って音がしそうな色ですよ。そりゃ爆発しそうに見えるよ。
 
 
 つらつら並べるっていう表現技法は何も印象派を引き合いに出してこなくてもきれいだし感じが出るとは思うんですよ。でも色の名前出して細かく万華鏡みたいな表現にされちゃうと、どうしても印象派を思い出しちゃうのでした。やー、楽しいね、「檸檬」。だんだん、日を追うごとに、好きになっていく気がします。昔そんなに好きでもなかったんだけどな。年取ったかな? それとも中二病再発ですかね。

 

 今日の話は難しいのにためにならないカオスだから、さくっと後ろの方の二行空きの後まで飛ばしてくださってよろしいです、じゃあなんでここに書いといたかって言うと、自分が後で読み返してわかりやすくするためです。
 
 
 さて、「檸檬」が書かれたのは、大正十二年です(多分)。掲載が大正十二年十二月だから書かれたのも多分そのくらいじゃないかと。大正十二年といえば、九月一日に関東大震災が発生した年です。
日本の文学シーンは、何回か大きな変革を経て現在に至ってると思います。そのうちの一つがやっぱりこの関東大震災かな。

 関東大震災のあとで、文学の枠組みは変化します。それまでは、自然主義的私小説ですね。有名なのは田山花袋「蒲団」。花袋っぽい主人公と花袋の弟子(女子)っぽい女弟子との関わりを描いた小説です。末尾の部分、主人公が女弟子の使っていた蒲団の匂いを嗅ぐという場面があまりにも変態的だから有名なんだと思うんですが、ウザいけど面白い小説です。
 
 自然主義的私小説ってのは、作家がモデルを丁寧に描く、みたいな小説みたいな印象がありますけど、それでいいんでしょうかね。難しく言うと、言葉が内面を代行表象する、だったと思います。小説にはメッセージがあり、それは作者の一番言いたいことや心の内を描いたものである、みたいな?
 
 で、関東大震災のあと、この自然主義的私小説っていう枠組みがなくなるのか廃れるのか、下火になって、代わりに出てくるのが新感覚派とかモダニズム文学とかです。
 
 新感覚派ってのは、アレです、横光利一。「蠅」を教科書で読みました。また「頭ならびに腹」、「沿線の小駅は石のように黙殺された」っていう文章出てくるの。「小駅」を「石」に例えてる「ように」の使い方とか。また「小駅」はそこで待つ人を含んでるとかそういう表現。それにこれはどうかわかんないけど、汽車が黙殺してんのが楽しいよね、運転士がっていうより汽車が、黙殺したんですよね、コレ。
 
 新感覚派は、人間の物体化とか物体の擬人化とかが特徴的な書き方って簡単に習ったことがあります。横光利一の他には川端康成もそうです。
 
 また、モダニズム文学が、よくわかんないんですけど、谷崎潤一郎とか習った時にはこれがモダニズム文学だって言われた気がします。またこの梶井基次郎もモダニズム文学?
 
 都市の表と裏が描かれてる印象がありますけど、どうなんでしょう。私は龍胆寺雄(りゅうたんじゆう)の「魔子」が印象に残っています。妹っぽい女子に萌えてた話だったかと。妊娠(懐妊じゃなくて妊娠@斎藤美奈子「妊娠小説」)した女子が死ぬほど不幸な目に遭わずカップルも別れなかったから印象に残ったんだと思うんだけど、なんか別の小説と混ざってるかも。
 
 モダニズム文学って、都市とかモダンガールとか、大正デモクラシーから続いている昭和モダニズム(ネーミング自分だけどなんかかぶってたらごめんなさい)の文化がすげー描かれてます。核家族化が進んで、街の中に女学生やら働いてる女子やらがわらわらいて、電車やら自動車やらでごちゃっとした街、みたいな。またそういう女子と大学行ってる男子が自由恋愛とかして、恋愛の話やら妊娠の話やらが書かれてみたり、さらに男子の浮気を問題視する女性作家がいたり、みたいな、そんな時代のそんな作品群、みたいな。
 
 先生に習った話だと、新感覚派やモダニズム文学ってのは、言葉が表現するのは言葉自体であり、再帰的な表現なのだ、だそうです。前半はわかる。俺の私生活を書くんじゃなくて、俺の言葉を書く、でおk? 後半がよくわからない、再帰的ってなんですか。なんかの説明にそのなんか自体が出てくる、けど循環論法とはまた違う、みたいな説明を見ましたが、よくわかんないです。この辺ももうちょっと勉強が必要なんですね。落語の「頭山」は再帰らしいです。
 
 
 さらっと文学史の大正末期から昭和初期まで流してみました。梶井の「檸檬」の話をしてたはずなのになんで文学史を自分語で表そうとしてんのかよくわかんないけど多分研究するなら絶対大事。もっと勉強も必要。でも、そんなことより「檸檬」の表現てなんか印象派っぽいよね、っていうことの方が大事って先輩にも言われました。
 
 だから明日は「檸檬」の表現て素敵だよねって話をするかも知れません。
 さて、「檸檬」で読書会の2回目です。この読書会は、回を追うごとに尻すぼみになっていくことが決まっている上に、「檸檬」は今日で終了しそうな気配がします。が、頑張って楽しかったところを述べていくことにします。
昨日は「檸檬」の冒頭に出てくる「えたいの知れない不吉な塊」が現代でいうところの抑鬱症状だよねっていう話をしました。その際、例によって何が言いたいかを途中で見失ってしまいましたが、今思い出しました。「神経衰弱」じゃなくて「憂鬱」、特に、「えたいの知れない不吉な塊」のせいで何もかもに無気力になって好きなものにもイライラして、っていう憂鬱は現代の若者に通じる気分じゃないですかね、っていう話でした。
 
 で、今日は、やっぱり現代の人たち(若い子含む)に通じる感覚をもう一つ。それは、廃墟好き。以下、少し長いけど引用しますね。古めの文学作品と思って引かないでください、こんな感じの廃墟画像くだしあっていう説明みたいなもんです。
 
引用です。
 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯ものが干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣のある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
引用終わりです。
 
 きれいな表通り、区画整理された大通りよりも、ちょっとカオスってる裏通り、洗濯ものとか、窓開け放して畳敷きの部屋が見える、しかも畳は茶色く褪せていて小汚かったりする、そんな感じの廃墟とか廃墟寸前の町が好き、っていう。これからさらに廃れて、崩れ消えていくのを待つだけの町。しかも、荒れ果てて廃墟だったり廃墟同然だったりする建物の裏庭にでっかい向日葵とか多分百合とか鳳仙花でもおkだと思うけど、ばーんとでっかい派手な花が咲いてるのが鮮烈な印象でまた好きだー、みたいな。

 以前は、「私」もきれいなものが好きだったんですよ。また引用ですけど、健康だった時の「私」の好きだったところは、以下です。
 
引用です。
 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄色のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費やすことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重苦しい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
引用終わりです。
 
 「丸善(まるぜん)」です。丸善は、でっかい本屋で、京都の四条京極辺りの繁華街にあります。学生が教科書とか参考書を買いに行くと言えば、丸善です。美術書とか文学書とかの専門書がなんでもたいてい揃います。現代では向かいの「淳久堂(ジュンク堂)」と二軒回れば完璧です。専門は専門でもサブカルみたいな方向にちょっと入っていくなら、丸善の向かい側でジュンク堂の数軒隣の「ブックストア談」まで回ればいいです。これで揃わなかったら、もう書店で手に取って選ぶのは諦めたがよろしい、みたいな書店群です。は!本屋の話をしたかったのではないです。だから丸善は、きれいなもの、秩序だってるもの、学校に関係あるもの、あんまり生活に密着した感じでないもの、の象徴みたいな感じが、こう並べて引用すると、しませんか。もっと真面目に言えば、西洋近代文明の象徴としての丸善が不快でならない、ということになります。
 
 ま、上の二つの引用の間には、花火が好きだとかおはじきとかビー玉とかが好きだとか、そういうのもあるんですけどね。ここで言いたいのは、元気な時には秩序と生活感のなさの象徴だった丸善が好きだったんだけど、病んでからは小汚い廃墟同然の町並みにこそ心惹かれるようになっちゃった、ということです。
 
 じゃあ、どのくらい丸善が嫌になっちゃったかといえば、それはもう、爆破して消し去っちゃいたいくらい嫌なんですね、これが。もう一つ引用しましょう。丸善に行って、以前は好きだった自分がそこにいることの違和感が楽しめなくなっちゃってることに気づき、愕然として、棚から何冊も画集を出すんだけど開くだけの元気がなくて(絶対億劫なんだと思うな)出しては積み上げ、そしてはっと思い立って積み上げた画集の上にさっき買って持ってた檸檬を置いちゃう、そしてそのまま丸善を出てきちゃう、その後のことです。
 
引用です。
 へんにくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。
引用終わりです。
 
 丸善、脳内で爆破するくらい嫌なんですよ、もう。そう、かつて好きだったものを嫌いになる時ってこんな感じよね。……ってわけで「私」は、丸善が脳内爆破しちゃうくらい嫌になっちゃって、代わりに今好きなのは廃墟、廃墟同然の町並み、なのです。
 
 最後の引用部分は小説「檸檬」の末尾です。これで終わりです。オチは? そんなのありません。丸善を脳内爆破したって、実際には画集の棚をカオスにして檸檬置いて放置してきただけです。ちょっとすっきりしたけど、病気も借金も学校行ってないのも就職ないのもなーんにも解決してません、オチなんてないんですよ、鬱にはね。
 
 
 今日は鬱々としてきれいなものから心離れて廃墟好きになっちゃった青年の気分が、現代のネット特にでっかい掲示板サイトとかに廃墟画像スレが定期的に立つ現代に通じるものがあるよね、っていう話でした。ていうか、常に廃墟写真ばっかり集めてる人絶対いると思うし、むしろアレだ、廃墟写真とか廃工場写真とかに萌えて書籍化しちゃった本とかこないだ見た気がする。他にも、廃村とかダム底とか、あと廃駅とか敗戦になった路線とか、「か/ま/い/た/ち/の/夜2」とか、「ひ/ぐ/ら/し/の/な/く/頃/に」とか。
私が最近見た廃墟画像スレのまとめは、例えばこちらなんかがそうです(ttp://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-527.html)。
去年の夏頃のスレみたいですね。廃墟写真には、むしろ実際そこにまだ建ってる廃墟寸前の家屋とかにも、なにか不思議な魅力を感じます。

 「檸檬」は1925年(大正14年)1月に、同人誌『青空』巻頭に掲載された短編小説です。梶井基次郎っていう永遠の若者が書きました。なんで永遠の若者っていうかと言えば、梶井基次郎は32歳という若さで亡くなってしまったからです。32歳は若くないなんてことはありません、現代だと若者の部類に入るでしょう、多分。私がその年齢に近づいて来たからそういうことを言うのではありません。団塊の世代がまだ頑張って仕事してるから、その子どもたちであるアラ30はまだ若者、と主張したい、それだけのことです。ていう気分で、32歳の梶井は若者、反論は認める、みたいな。
 
 「檸檬」には、壮大なテーマや大恋愛なぞは描かれていません。かつて好きだったものにあんまり愛着を持てず、町の中をふらふら散歩しながら遠くへ行きたいと思い妄想だけは遠くの町に飛ばしている、そんな肺病の若い子が、それでも興味をひかれる果物屋とか描写してみたり、うんざりして嫌いになっちゃった丸善(本屋)に行って画集を見ようとしてみるもののやっぱりうんざりしてて見る気にならなくてそれらの画集を積んで上にレモンを乗っけて外に出て、丸善爆破ーって一人で悦に入ったりしてる、みたいな、書き方をしてしまうと身も蓋もないけどこういうような話を素敵文体でつらつら書いてある、そういう小説です。
 
 少しだけ、前から順に見てみましょう。長くなるから今日は冒頭の部分だけ。
 
 主人公「私」は、冒頭から「えたいの知れない不吉な塊」に「心を圧えつけ」られる気分で、「焦燥と言おうか嫌悪と言おうか」みたいな気分ですから、これはもう鬱だーとしか表現できない私の気分をこうもわかりやすく説明してくれるなんて師匠と呼びたい気分です。あ、この主人公「私」は、梶井に見えちゃいますが、一応違うって方向で話を進めますね。どれだけ梶井に見えても、梶井の実生活にまったく沿っていたとしても、この作品がエッセイではなくて小説であると思って話をする以上、この「私」は梶井ではなくて、「私」っていう登場人物です。
 
 「肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない」、「いけないのはその不吉な塊だ」ってわけで、この心を圧えつけてくる不吉な塊は「神経衰弱」ではありません。「神経症」って私が呼んじゃうところの、鬱病とか抑鬱状態とか、そういう現代的な病気です。どう違うかっていうと、以下の感じ。
 
 「神経衰弱」は明治時代の病気で、男の病気です、対応する女の病気は「ヒステリー」であろうかと思います。この辺は夏目漱石読んでるとよく出てきます。抑鬱状態とかは現代の病名ですが、この時代だと「憂鬱」とか呼ばれているみたいです。「憂鬱」は、大正六年の佐藤春夫「田園の憂鬱」でデビューした(多分)当時の若者に流行した言葉っていうか流行った気分で、この時代学校に行って高等遊民化しちゃった若者はみんな憂鬱だったみたい。
 
 明治時代の若者は「立身出世」とか言いながら頑張って勉強して(無理な子は早々にいなくなる感じかな?)、国家と個人の目標が概ね一致していたみたいです。日露戦争後、個人主義の時代に入って、人はみな個人の欲望や快楽を追求するようになるようです、若者だって多分同じ。若者は就職先もあんまりないし国家のために働くとかなんか違う気がするしみたいに高等遊民化して、個人の部屋に引きこもり、憂鬱な気分で過ごすようになります。っていうのがこの時代のざっと大筋、って感じだけど、この若者の図って、現代と同じですよね、なんとなく。あ、若者若者って言ってますが、小学校だけじゃなくて上の学校に行ける若者のことです。国とか会社とか全体のために働くとか馬鹿馬鹿しい時代になっちゃってたくさんの若い子がニートとか働きたいのに働けないとかいろいろ、うちの中で憂鬱な気分で過ごしてる、みたいな。働いてる子は働いてるんだけど、働いてない子は働いてない。そしてみんな憂鬱。そんな感じ。
 
 さらに、「神経衰弱」は身体を抑圧して頭をクローズアップした感じの知識人の病気、「憂鬱」は病によって身体が可視化される若者の病気、みたいな感じで、現代の抑鬱状態とか境界例の方向の神経症は後者の流れ、多分。この辺は先輩に教えてもらったことを私の拙い頭で理解したまとめなんだけど、間違ってたらごめんなさい。
 
 ていうわけで、現代に通じる若者の感覚「憂鬱」を詩的に表現すると、「檸檬」冒頭の「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた」になるわけです。
  
 久しぶりに文章書いたから、いつも以上にごちゃっとしてますけど、ごめんなさい&ありがとう、読んでくれた方。

 



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