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 さて、「檸檬」で読書会の2回目です。この読書会は、回を追うごとに尻すぼみになっていくことが決まっている上に、「檸檬」は今日で終了しそうな気配がします。が、頑張って楽しかったところを述べていくことにします。
昨日は「檸檬」の冒頭に出てくる「えたいの知れない不吉な塊」が現代でいうところの抑鬱症状だよねっていう話をしました。その際、例によって何が言いたいかを途中で見失ってしまいましたが、今思い出しました。「神経衰弱」じゃなくて「憂鬱」、特に、「えたいの知れない不吉な塊」のせいで何もかもに無気力になって好きなものにもイライラして、っていう憂鬱は現代の若者に通じる気分じゃないですかね、っていう話でした。
 
 で、今日は、やっぱり現代の人たち(若い子含む)に通じる感覚をもう一つ。それは、廃墟好き。以下、少し長いけど引用しますね。古めの文学作品と思って引かないでください、こんな感じの廃墟画像くだしあっていう説明みたいなもんです。
 
引用です。
 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯ものが干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣のある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
引用終わりです。
 
 きれいな表通り、区画整理された大通りよりも、ちょっとカオスってる裏通り、洗濯ものとか、窓開け放して畳敷きの部屋が見える、しかも畳は茶色く褪せていて小汚かったりする、そんな感じの廃墟とか廃墟寸前の町が好き、っていう。これからさらに廃れて、崩れ消えていくのを待つだけの町。しかも、荒れ果てて廃墟だったり廃墟同然だったりする建物の裏庭にでっかい向日葵とか多分百合とか鳳仙花でもおkだと思うけど、ばーんとでっかい派手な花が咲いてるのが鮮烈な印象でまた好きだー、みたいな。

 以前は、「私」もきれいなものが好きだったんですよ。また引用ですけど、健康だった時の「私」の好きだったところは、以下です。
 
引用です。
 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄色のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費やすことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重苦しい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
引用終わりです。
 
 「丸善(まるぜん)」です。丸善は、でっかい本屋で、京都の四条京極辺りの繁華街にあります。学生が教科書とか参考書を買いに行くと言えば、丸善です。美術書とか文学書とかの専門書がなんでもたいてい揃います。現代では向かいの「淳久堂(ジュンク堂)」と二軒回れば完璧です。専門は専門でもサブカルみたいな方向にちょっと入っていくなら、丸善の向かい側でジュンク堂の数軒隣の「ブックストア談」まで回ればいいです。これで揃わなかったら、もう書店で手に取って選ぶのは諦めたがよろしい、みたいな書店群です。は!本屋の話をしたかったのではないです。だから丸善は、きれいなもの、秩序だってるもの、学校に関係あるもの、あんまり生活に密着した感じでないもの、の象徴みたいな感じが、こう並べて引用すると、しませんか。もっと真面目に言えば、西洋近代文明の象徴としての丸善が不快でならない、ということになります。
 
 ま、上の二つの引用の間には、花火が好きだとかおはじきとかビー玉とかが好きだとか、そういうのもあるんですけどね。ここで言いたいのは、元気な時には秩序と生活感のなさの象徴だった丸善が好きだったんだけど、病んでからは小汚い廃墟同然の町並みにこそ心惹かれるようになっちゃった、ということです。
 
 じゃあ、どのくらい丸善が嫌になっちゃったかといえば、それはもう、爆破して消し去っちゃいたいくらい嫌なんですね、これが。もう一つ引用しましょう。丸善に行って、以前は好きだった自分がそこにいることの違和感が楽しめなくなっちゃってることに気づき、愕然として、棚から何冊も画集を出すんだけど開くだけの元気がなくて(絶対億劫なんだと思うな)出しては積み上げ、そしてはっと思い立って積み上げた画集の上にさっき買って持ってた檸檬を置いちゃう、そしてそのまま丸善を出てきちゃう、その後のことです。
 
引用です。
 へんにくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。
引用終わりです。
 
 丸善、脳内で爆破するくらい嫌なんですよ、もう。そう、かつて好きだったものを嫌いになる時ってこんな感じよね。……ってわけで「私」は、丸善が脳内爆破しちゃうくらい嫌になっちゃって、代わりに今好きなのは廃墟、廃墟同然の町並み、なのです。
 
 最後の引用部分は小説「檸檬」の末尾です。これで終わりです。オチは? そんなのありません。丸善を脳内爆破したって、実際には画集の棚をカオスにして檸檬置いて放置してきただけです。ちょっとすっきりしたけど、病気も借金も学校行ってないのも就職ないのもなーんにも解決してません、オチなんてないんですよ、鬱にはね。
 
 
 今日は鬱々としてきれいなものから心離れて廃墟好きになっちゃった青年の気分が、現代のネット特にでっかい掲示板サイトとかに廃墟画像スレが定期的に立つ現代に通じるものがあるよね、っていう話でした。ていうか、常に廃墟写真ばっかり集めてる人絶対いると思うし、むしろアレだ、廃墟写真とか廃工場写真とかに萌えて書籍化しちゃった本とかこないだ見た気がする。他にも、廃村とかダム底とか、あと廃駅とか敗戦になった路線とか、「か/ま/い/た/ち/の/夜2」とか、「ひ/ぐ/ら/し/の/な/く/頃/に」とか。
私が最近見た廃墟画像スレのまとめは、例えばこちらなんかがそうです(ttp://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-527.html)。
去年の夏頃のスレみたいですね。廃墟写真には、むしろ実際そこにまだ建ってる廃墟寸前の家屋とかにも、なにか不思議な魅力を感じます。
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